「軍神」だってバックレたい。上杉謙信が突きつけた「辞表」と、私たちが学ぶべき折れない心の整え方

学び

「戦えば負けなし」「義に生きた聖将」。そんな完璧なイメージで語られる上杉謙信。しかし、そんな彼にも、すべてを投げ出して「失踪」した過去があるのをご存知でしょうか。

20代後半、働き盛り。周囲からは「最強の若手社長」と期待されていた謙信を襲ったのは、現代の私たちも直面する「中間管理職の孤独」と「組織内の派閥争い」でした。

この記事では、謙信が残した「置手紙」の真相から、彼がいかにしてその絶望を乗り越え、後に米沢の地で語り継がれる「義」の精神を確立したのかを深掘りします。


1. 戦国最強のリーダーを襲った「ブラックな職場環境」

謙信(当時は長尾景虎)が越後の統一に奔走していた1550年代。当時の越後は、決して一枚岩の組織ではありませんでした。

現代風に言えば、「中途採用の寄せ集め集団」で構成された、ガバナンスの効かないベンチャー企業のような状態です。

  • 部下(国衆)たちのエゴ: 彼らは謙信を「リーダー」として立ててはいるものの、本音では「自分の領土(利益)が一番」と考えていました。
  • 終わりのない社内政治: A家とB家が土地の境界線で揉めれば、その裁定はすべて謙信に丸投げ。どちらかに味方すれば、もう一方が「あいつは依怙贔屓(えこひいき)だ」と不満を漏らす。
  • 「義」が通じないストレス: 謙信が掲げる「正義」や「平和」という理念よりも、部下たちは「明日いくら儲かるか」という数字にしか興味がない。

「私はみんなのために命を懸けているのに、なぜ誰もついてきてくれないのか……」。 完璧主義で理想が高かった謙信にとって、この「現場の意識の低さ」は、戦場での矢傷よりも深く、彼の心を蝕んでいきました。

なんだか今の会社と似ています


2. 弘治2年の衝撃:深夜の「退職願」と高野山への逃避行

1556年(弘治2年)、謙信はついに限界を迎えます。27歳の夏のことでした。

彼は誰にも相談せず、突如として今の新潟県にある春日山城を後にします。残されたのは、重臣たちに宛てた衝撃的な「退職願(出家宣言)」でした。

【謙信の心の叫び(意訳)】 「もう疲れた。みんな自分の利益ばかりで、私の言うことなんてこれっぽっちも聞いてくれないじゃないか。これ以上、この国のリーダーを続けても意味がない。私はもう、高野山へ行って静かに仏門に入ることにする。あとは勝手にやってくれ」

これは、現代でいえば「CEOが重要会議の直前にLINE1本残してスマホの電源を切り、山奥の寺に引きこもる」ようなものです。

【最新研究の視点:これは「戦略的バックレ」だったのか?】

近年の研究では、この出家騒動は単なるメンタル崩壊ではなく、謙信による「究極の権力掌握術」だったという説も有力視されています。 「俺がいなくなったら、お前ら他国(武田や北条)に飲み込まれて終わりだぞ? それでもいいのか?」という、命懸けの「逆パワハラ」に近い揺さぶりです。

しかし、当時の謙信の信仰心や、その後の彼のストイックな生き方を考えると、そこには計算だけではない「本気の絶望」があったと考えるのが自然でしょう。


3. 家臣たちのパニックと「血判状」:失って気づくカリスマの価値

社長がいなくなった「上杉カンパニー」は、即座に大パニックに陥ります。 隣国には武田信玄という「競合他社のモンスター」が牙を剥いています。謙信という絶対的なカリスマがいなくなれば、組織は空中分解し、全員が路頭に迷うことは明白でした。

焦った家臣たちは、高野山へ向かう途中の謙信を必死に追いかけ、こう懇願しました。

「私たちが悪かったです! 今後は絶対に派閥争いはしません! 忠誠を誓いますから、どうか戻ってください!」

この時、家臣たちは二度と裏切らないことを誓う「血判状」を差し出しました。 部下たちに「この人がいないとダメだ」と骨の髄まで理解させたことで、謙信の求心力は以前よりも強固なものとなったのです。


4. 挫折から生まれた「義」:米沢へ受け継がれる上杉のDNA

この失踪事件を経て、謙信は一回り大きなリーダーへと進化しました。 「人は簡単には分かり合えない」という諦念(あきらめ)と、「それでも正しさを貫く」という覚悟。これが、彼の代名詞となる「義」の正体です。

この精神は、謙信一代で終わったわけではありません。 後に上杉家が米沢(山形県)に移封された際、領地が大幅に減らされても、上杉の家臣たちは誰一人として主君を見捨てませんでした。

米沢城跡に息づく「謙信の再起」

現在、米沢にある上杉神社を訪れると、そこには謙信を祀る静謐な空気が流れています。 新潟の春日山城が「闘争の地」であれば、米沢は謙信が挫折の末に見出した「心の平安と継承の地」です。

米沢藩の中興の祖・上杉鷹山が「なせば成る」と説いた背景には、かつて謙信が絶望の中で家臣たちと結び直した「信頼の絆」がありました。 「一度折れたからこそ、より強く、より優しくなれる」。謙信の失踪エピソードは、そう教えてくれている気がします。


5. 現代を生きる私たちへのヒント

もし、あなたが今、「仕事が辛い」「人間関係に疲れた」と感じているなら、上杉謙信のこのエピソードを思い出してください。

  • 「逃げる」ことは敗北ではない: 最強の軍神でさえ、一度は職場を放り出しています。
  • 距離を置くことで見える価値: 謙信がいなくなることで、部下たちは初めて彼のありがたみを知りました。あなたも、一時的に休むことで周囲の認識を変えることができるかもしれません。
  • 「義」は自分の中に持つ: 他人の評価(数字や利益)に依存すると、心は折れます。謙信のように、自分なりの「正しさ」を軸に据えることで、再起のチャンスは必ず訪れます。

【読者を惹きつけるスパイス:米沢・謙信トリビア】

  1. 謙信の遺体は米沢にある? 前述の通り、謙信の遺骸は明治時代まで米沢城本丸に安置されていました。現在も上杉家廟所に静かに眠っています。米沢を訪れることは、戦国最強のメンターに直接会いに行くようなものです。
  2. 最強の「勝負飯」:米沢牛と謙信の食生活 謙信は酒を愛し、梅干しや味噌を肴に飲んでいたと言われます。米沢で「米沢牛」を楽しみつつ、謙信が大切にした「質素な義の心」を体験する……。これこそが、大人の聖地巡礼の醍醐味です。
  3. おすすめの訪問ルート まずは米沢駅で「牛肉どまん中」弁当を買い、上杉神社へ。その後、謙信公の御霊屋(おたまや)がある「上杉家廟所」を訪れれば、彼の「再起の物語」が完結します。ただ「牛肉どまん中」結構なお値段です。

    また、このネーミング、単なるギャグだとおもっていたら、「どまんなか」というご飯の上に牛肉がのっていることに由来していました。

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